
2026年8月24日、一般社団法人ソリダリダード・ジャパンと株式会社シンク・ネイチャーは、連続セミナー2026第1回「Scope3・FLAG対応策は既にある ― 優先すべき生産地の科学的特定と協働実装 ―」を、ベルサール西新宿にて、オンラインとのハイブリッド形式で開催しました。
株式会社ゼロボード、株式会社Control Union Japanの協力のもと、Scope3・FLAGをめぐる動向、自然資本ビッグデータを活用した優先地域の特定、再生型農業認証、生産地における具体的な取り組みについて、それぞれの専門的な立場から報告しました。会場とオンラインを合わせて80名を超える皆様にご参加いただきました。
講演とパネルディスカッションの終了後には、会場参加者を対象に登壇者との個別Q&Aとネットワーキングの時間を設け、登壇者と参加者、参加者同士で活発な意見交換が行われました。当日の主な内容をご紹介します。
ソリダリダードは、農産品を中心とするサプライチェーンの生産者や労働者を支援する国際NGOであり、世界48カ国、7つの地域センターで活動している。各地域への分権化を進める一方、地域を超えた情報や経験の共有を行い、日本事務所は日本企業や消費者と生産現場をつなぐ役割を担っている。
2025年のセミナーでは、再生型農業やネイチャーポジティブについて生産現場の事例を紹介した。今回はそこから一歩進み、Scope3・FLAGへの対応を生産地での実際の改善までどうつなげるかをテーマとした。
そのためには、まず自社のサプライチェーンのどこに優先的に取り組むべき課題があるのかを把握する必要がある。一方、その先の仕組みを企業がすべて自前で構築する必要はない。自然資本ビッグデータによる優先地域の特定、認証やMRV、生産地での取り組みには、それぞれ専門性と経験を持つ組織が存在する。こうした科学的知見や実践的なツール、現場での経験を組み合わせ、日本企業が生産地との協働を始めるための選択肢を考えることが本セミナーの趣旨である。
世界のGHG排出量の約2割を占める農林業・土地利用分野は、これまで算定手法や一次データが十分に整備されず、企業のサプライチェーン排出量における空白地帯となってきた。
GHGプロトコルの土地セクター及び除去に関する基準やSBTi FLAGガイダンスの整備により、土地利用変化や土地管理による排出、森林再生、アグロフォレストリー、土壌炭素などによる炭素除去を企業が体系的に把握する枠組みが整いつつある。
FLAG目標は、エネルギー・産業部門のSBTとは別枠で管理する必要がある。FLAG指定セクターに属する企業に加え、Scope1・2・3排出量の合計の20%以上をFLAG関連排出量が占める企業も目標設定の対象となる。
自社のサプライチェーン内で排出削減や炭素除去を行うカーボン・インセッティングは、FLAG目標達成の重要な手段となる。一方で、第三者検証やダブルカウントの防止など、厳格な管理が求められる。
完全なデータが揃うまで行動を遅らせるのではなく、予防原則に基づいて行動を開始することが重要である。算定や開示はゴールではなく、生産地との価値共創の出発点である。科学的知見、認証・MRV、現場での取り組み、可視化・データ基盤などの専門性を組み合わせることで、生産地との協働につなげることができる。
気候・自然関連の情報開示を考える上では、まず「何のために行うのか」を明確にする必要がある。
企業活動は自然に依存すると同時に自然に影響を与えている。自然の劣化は、原材料の収量低下や価格変動、レピュテーションリスクなどを通じて企業の事業継続性や財務にも影響する。
天然ゴムでは、単一栽培による病害の拡大が生産量の低下や価格変動を引き起こす可能性がある。コモディティ価格と企業の売上原価率の変動にも関連がみられ、自然関連リスクは企業のPLに直接波及し得る。
したがって自然関連情報の把握・開示は、開示そのものを目的とするのではなく、コモディティ調達の持続可能性を高め、財務インパクトを制御するための手段として位置づける必要がある。
自然・気候関連の課題を企業の実務に落とし込むには、科学的に把握できる自然関連リスクと、企業の意思決定に必要な情報をつなぐ必要がある。
生物多様性損失などによるレピュテーションリスクから、洪水によって農園が操業できなくなる物理リスクまで、地球規模での分布を科学的に分析できる。コモディティの生産量や、気候変動によってそれが将来どう変化するかについても評価が可能になっている。
一方、企業の実務では、原材料のトレーサビリティがない、自然への配慮を財務価値にどう結びつけるか、貢献をどのような共通指標で表現するかといった課題が残る。
衛星画像や生態学的データなどを組み合わせることで、土地利用変化や原生林への影響、森林再生による炭素固定量なども評価できる。限られた資金と人的資源の中で、科学的データをもとに企業にとって重要度の高い「マテリアルな場所」を特定し、優先順位をつけることが具体的な対応の出発点となる。
再生型農業は、生物多様性の向上、土壌の健全性の回復、水質や大気の質の改善を図りながら農業生産を行う包括的なアプローチである。
regenagriでは、農場のベースライン評価を行った上で、カバークロップ、輪作、化学肥料の削減などの改善計画を策定し、土壌分析や現地審査を通じて継続的に確認する。
農場を対象とする認証に加えて流通段階を対象とするCoC認証があり、サプライチェーンを通じたトレーサビリティを構築できる。企業にとっては、ESG評価、Scope3排出量削減、ブランド価値、調達リスクの低減などへの活用が期待される。
一方、土壌分析やモニタリングに伴うコスト、データ収集・管理体制、サプライチェーン全体のトレーサビリティ、科学的根拠に基づく情報開示などが課題となる。認証を一度取得して終わりではなく、継続的に改善を進めるためには、土壌、炭素算定、トレーサビリティ、技術指導、認証など複数分野の専門性が必要となる。
再生型農業が必要とされる背景には、気候変動がすでに農家の生産と生活に直接影響していること、農業がGHG排出削減と炭素除去の双方に貢献できること、企業のScope3・FLAG目標によって生産地における具体的な改善が求められるようになったことがある。
再生型農業は、有機農業など特定の生産方式を否定するものではない。重要なのは、農業システムそのものが機能を回復しているかどうかである。
農家による継続的な取り組みには、モデル農家などを通じて農家自身が効果を確認できること、プロジェクト終了後にも地域に残る組織、農家同士の学び合い、行政や地域機関との協働が重要となる。
企業とのパートナーシップでは、農家に明確な経済的メリットがあること、市場とつながること、農法転換や測定・監査に必要な資金を確保すること、データ利用や炭素価値の便益分配について合意すること、独立した検証を行うことが必要となる。さらに、一時的なプロジェクトではなく、継続的な調達と拡大を当初から計画することが重要である。
ソリダリダードのアプローチの基本にあるのが「Farmers First」である。小規模農家を取り組みの中心に置き、①再生型・気候レジリエントな生産への移行、②金融・技術・データ・投入材などへのアクセス、③公正な調達やトレーサビリティを通じて生産者に価値を還流する市場、④規制や基準づくりに農家が参加するガバナンスの4領域を、生産地の中で組み合わせて取り組んでいる。
インド・マハラシュトラ州のコットンでは、土壌被覆、マルチング、他作物との混植、有機物の活用、効率的な水管理、病害虫の統合的管理などを組み合わせ、再生型農業への移行を進めている。2025年5月には39,500ヘクタールまで拡大し、栽培コスト12~30%削減、収量12~18%増加、水使用量35%削減などの成果が確認されている。
さらにWWF Indiaと連携し、再生型コットンを100万ヘクタールまで拡大することを目指した基金づくりを進めている。農家に農法転換を求めるだけでなく、技術研修、移行期の追加コストや投入材、土壌・GHGなどのデータ測定、検証・モニタリングまで含めて移行を支える枠組みである。
アブラヤシでは、小規模農家だけでなく、農家と搾油工場をつなぐ仲買人など既存の流通関係者も巻き込み、FFB(アブラヤシ果房)の品質や生産性の改善を進めている。また、現地大学と連携して再生型農業の効果を測定し、GHG排出量の減少や炭素ストックの増加などを確認した上で、その結果を次の取り組みに戻して地域に適した方法へ改善している。
西カリマンタンでは、アブラヤシだけでなく、ゴム、カカオ、コーヒー、地域の果樹など複数の生産活動と、森林、泥炭地、水、生物多様性を一体として捉えている。農家への技術支援にとどまらず、土地利用計画などを行政や企業と連携して進める「農園からランドスケープへ」のアプローチである。
FLAG対応に必要な要素はすでにかなり揃いつつある。マテリアルな場所を特定する技術、再生型農業、認証・MRVなどの仕組みがある一方、日本企業がグローバルサウスの生産地で具体的な活動を行う例はまだ限られている。
企業にとっての大きなハードルは、制度や技術そのものよりも、生産地とどのように協働するかという「アナログな部分」にある。企業のニーズと現場をつなぐ「翻訳」と、生産地との信頼関係を構築しながら伴走する役割が必要となる。
具体例の一つが、Rabobankが進めるACORNである。ソリダリダードなど各国・地域のNGOがローカルパートナーとなり、農家によるアグロフォレストリーの導入やACORNへの参加を支援する。アグロフォレストリーによって生まれる炭素固定の価値を炭素市場につなぎ、売却収益の8割を農家に還元する。企業がこうした炭素固定ユニットをインセッティングに活用する取り組みも進む。
ブラジル・セラード地域では、WBCSDのソフト・コモディティ・フォーラムを通じ、本来競合する複数の国際穀物メジャーが森林破壊などの共通課題に協働で取り組んでいる。一社だけの対応によって森林破壊が別の供給先へ移ることを避けるため、環境リスクの高い地域を優先し、地域単位で取り組むランドスケープ・アプローチである。
生産地で農家を排除せずにFLAG対応を進めるには、個社だけで解決しようとするのではなく、既存の仕組みや専門性を活用し、企業間でも協働する視点が重要となる。
会場・オンラインから、regenagriにおけるトレーサビリティ、LCAにおける排出削減と炭素除去の扱い、支援対象となる農家の選定、企業が小規模農家支援に資金を拠出する理由、複数企業による協働のあり方などについて質問が寄せられた。
支援対象農家の選定については、インドでの事例をもとに、市場へのアクセスがある程度確保できる地域を選び、まず意欲のある農家から開始して周囲へ広げていく方法を紹介した。市場から遠く、支援コストが極めて高い地域から始めるのではなく、期待されるインパクトとコストのバランスも考慮する必要がある。
企業が小規模農家支援に資金を出す動機については、FLAGなどへの対応、持続可能な調達をめぐる社会的要請など、入口は企業によって異なる。一方、生産地に実際に関わることで、それまで見えていなかったサプライチェーン上の関係や課題が把握でき、安定調達や生産基盤の維持という観点へ認識が広がることもある。
異なる企業による協働については、WBCSDなど第三者が枠組みをつくり、競合企業がそこに参加する方法がある。また、WWF Indiaとソリダリダードによるコットン基金のように、あらかじめ共同の枠組みをつくり、企業がそこに参加する方法もある。公的資金で形成されたプロジェクトに複数の民間企業が加わることも、企業間協働のハードルを下げる方法の一つである。
モデレーター: 株式会社シンク・ネイチャー 久保田氏
パネリスト: 石森昌子氏(株式会社ゼロボード)、五十里翔吾氏(株式会社シンク・ネイチャー)、大村次郎氏(株式会社Control Union Japan)、藤原啓一郎(一般社団法人ソリダリダード・ジャパン)
パネルでは、情報開示のためのデータを、どのように実効性のある企業行動や生産地での改善につなげるかを中心に議論した。冒頭、モデレーターの久保田氏は、本セミナーを通じた大きなテーマとして「Farmers First」を挙げた。企業側のコストや対応だけでなく、それが生産者にどのような便益をもたらし、結果としてサプライチェーン全体の強靱化につながるのかという視点から、各登壇者に課題を問いかけた。
データを行動へどうつなげるか
気候変動や自然劣化が農園の生産性を変化させ、それが原材料価格や企業財務に影響する過程は、科学的データによってかなりの部分まで定量的に分析できる。一方、その途中のメカニズムを飛ばして情報開示だけが目的になると、「どこで何をすべきか」という具体的な行動につながりにくい。
データだけで企業を動かすことにも限界がある。企業理念やパーパス、「なぜ自社が取り組むのか」というナラティブと、科学的データや財務インパクトの分析を組み合わせる必要がある。生産地を実際に訪れ、現場を知ることも、社内の理解や意思決定を促す重要な要素となる。
生産地の実態と企業側の縦割り
企業では原材料や商品ごとに調達やサステナビリティ施策を管理することが多い。一方、生産地では、一つの農家が複数の作物を生産し、森林、水、土壌、生物多様性、生計などが相互につながっている。
一つのコモディティだけを切り出して対応する企業側の仕組みと、複数の課題が同時に存在する生産地の実態との間にはギャップがある。ランドスケープ全体を見る視点や、企業間・組織間の協働が必要となる。
認証と継続的な改善
国際的な認証制度が増加し、企業だけでなく認証機関にも負担が生じている。一方、認証は単に取得することが目的ではなく、継続的な改善を確認し、その結果をサプライチェーンの信頼性につなげるための仕組みでもある。
データ、認証、現場での取り組みを別々に考えるのではなく、それぞれの役割をつなぐことが重要となる。
企業と農家、それぞれの目的
企業は財務合理性だけで意思決定するわけではなく、企業理念や社会的な役割も行動を左右する。一方、農家は企業の環境目標を達成するために農業を営んでいるのではなく、自らの生活と生計のために農業を営んでいる。
Scope3・FLAGへの対応を実際の生産地の変化につなげるには、企業の目標をそのまま生産者に求めるのではなく、生産性、所得、気候変動へのレジリエンスなど、生産者自身にとってのメリットと結びつける必要がある。
以上