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フェアトレード①

~より公正な社会を求める国際的な運動の歴史~ 

 

 “Fair Trade”(フェアトレード)とはなにか、についてすべての人が合意する定義はありません。しかし複数のフェアトレード団体の連合体であるFINE(注)は、「より公正な国際貿易を実現するために、対話・透明性・敬意を基本とする貿易のパートナーシップであり、とりわけ途上国の弱い立場に置かれた生産者や労働者に対して、より良い取引条件を提供し、彼らの権利を守り、持続可能な発展に貢献するもの。」と定義しています。

 国際NGOであるソリダリダードは、フェアトレード運動を国際的な不平等や小規模生産者が直面する問題などの解決に向けた様々な仕組み(フェアトレード・ラベルもその中に含まれます)の総称と捉え、この運動を支持しています。この連載記事では、フェアトレード月間(5月のキャンペーン)活動の一環として、読者の皆さんに幅広い視点からフェアトレードについて考える材料を提供していきたいと思います。

 第一回である今回は「より公正な社会を求める国際的な運動の歴史」と題して、フェアトレードという仕組みが生まれた時代背景、および最初のフェアトレード認証ラベル「Max Havelaar」(マックス・ハーフェラール)が誕生した経緯についてご紹介します。

 今日では、フェアトレードの商品には、コーヒーやバナナ、チョコレートといった食品から衣服やアクセサリーなどのグッズまで、多種多様なものがあります。フェアトレードの運動が始まった当初は、ラテンアメリカで女性たちがつくった手工芸品を欧米のキリスト教系NGO団体が買い取り、先進国でバザーを開き販売していました。その後、支援対象者の中心は過酷な労働環境や劣悪な生活状況の中で生計を立てる農民(特に小規模農家)に移りました。現在のフェアトレードも小規模生産者の利益を保障し、適切な価格に基づく取引という社会正義の理念は貫いています。

 1960年代における国際NGO(主にカトリック教会とのつながりがある団体)は政治的圧力・経済的貧困に苦しむ人々への援助活動を活発に展開していました。こうしたNGO団体は、慈善事業の活動を通じて、社会的弱者の生産能力の向上や組織化など生産性の改善につながるような支援が重要であると気づきはじめます。1970年代は、途上国において国家主導の開発が進められました。これと相まって、緊急援助や慈善事業を中心に支援活動を行ってきた国際NGOは、社会的弱者が自らのニーズを満たすための能力開発(コミュニティにおける農民グループや保健委員会の運営など)の支援プロジェクトを実施するようになりました。また、多くのNGO団体は、個別の支援プロジェクト対象を超えて、より大きな制度の変革をめざして政府や市民向けのアドボカシー・キャンペーン活動にも取り組みました。1980年代に入ると、途上国の農民がいかに国際市場に参入できるかが主要テーマとなり、零細農家が中間業者をなるべく通さない形で農産品を販売できれば、取引から得られる利益も増加するという戦略でした。この時代までフェアトレードという用語はまだ浸透しておらず、途上国の弱い立場におかれた生産者や労働者を支援する取引を“Alternative Trade”(オルタナティブ・トレード)と呼ばれていました。オルタナティブ・トレードは、連帯に基づく関係の構築、小規模生産者への支援、先進国市場の協力、といった考えの下に実践されていました。しかし、こうした実践を支える倫理的消費者はほんのわずかであったため、途上国の農民の支援につながるというコンセプトの商品も市場でのシェアは数%に止まり、オルタナティブ・トレードの組織自体も弱体化し、何より自由貿易の力に太刀打ちできない現実問題がありました。

 オルタナティブ・トレードが難航するなか、フェアトレードの認証ラベルが登場し、これにより世界的なフェアトレード運動が大きな転機を迎えます。1988年にオランダでマックス・ハーフェラールというフェアトレード認証ラベルが発表され、その第1号商品(コーヒー)はオランダの皇太子に贈呈されたことがメディアにも取り上げられました。以降、フェアトレード運動は急速に広がり、現在日本においてもフェアトレードは広く知られるようになってきています。しかし、日本では、マックス・ハーフェラールという認証ラベルが誕生した背後に、オランダ人の神父とソリダリダードのスタッフによる果敢な挑戦があったことはあまり知られていません。この2人は途上国の農家と先進国の企業に対してそれぞれ働きかけ、暗中模索のなかでフェアトレードの認証制度づくりに尽力しました。

 フランツ神父は、ラテンアメリカでの生活経験、貧困層のコミュニティの中で生きる実体験から、経済構造を根本から変える必要があるという熱いエネルギーを持っていました。彼はチリのスラムで貧しい人々の生活世界を目のあたりにし、そこから貧困者に寄り添い、彼らをもっと理解する必要があるという意識が芽生えます。しかし、チリでクーデターが起こり、軍事政権が誕生したことをきっかけに、フランツ神父はメキシコに渡りました。彼はオアハカ州にあるインディオの先住民地域での生活を続けるなかで、世界規模の不平等を拡大する経済構造と開発援助がもたらした弊害(問題のすべてをお金で解決しようとするやり方)に対して疑問を持つようになりました。他方、現地での生活・活動の経験から、彼はインディオのコミュニティの中にある人間観と弱い立場におかれた農民の戦略に対しても理解を深めていきました。インディオのコミュニティでは、ホスピタリティを優先にする豊かさや、苦しみや痛みを生活の一部として、信仰とともにポジティブに受け入れる考え方があります。また、現地社会の文脈を背景に、農民たちは悲惨な状況をつくりたす人に対して、あえて反抗しないという戦略をとりながら暮らしています。フランツ神父は長年にわたり貧困な農民と同じように生活する過程で、現地社会に対する深い理解と農民たちとの信頼関係ができました。この経験と共感の土台の上に、彼は農民たちと一緒にコーヒー豆の取引における問題について考え、本気で生活を変えるために有機農法の採用や生産者組合の創設などに取り組みました。

 マックス・ハーフェラールというフェアトレード認証ラベルを語る際に、忘れてはならないもう1人の重要人物は、ソリダリダードのニコ・ローツェン(現:ソリダリダード・ネットワーク名誉代表)です。ニコ・ローツェンは、大学生の時からボランティア活動や社会運動にエネルギーを燃やしていました。彼は1984年からソリダリダードのスタッフとしてラテンアメリカでの支援活動に参加しましたが、この経験を通じて途上国の貧しい人々が求めている連帯に気づきました。フランツ神父との出会いによって、支援ではなく、適切な価格で取引する方法で社会を変える、というやり方に親近感を抱くようになります。更に、2つの世界規模の社会問題、すなわち貧困問題と環境問題を同時に解決しなければならないという考えを持ちました。ニコ・ローツェンの働きかけによって、ソリダリダードの活動は資金援助から社会を変えるシステムづくりに変革しました。

 フェアトレードにおける生産側の挑戦として、フランツ神父はメキシコの山間部で暮らす農民たちを説得し、生産者団体をつくり、それまで農民からコーヒー豆を買い叩いてきた仲買人を通さずに、農民たちと一緒に生産したコーヒー豆を直接貿易港まで運び、販売する取り組みに奮闘しました。フェアトレードにおける消費側の挑戦として、ニコ・ローツェンはオランダのスーパーや焙煎業者、商社などを奔走しました。ソリダリダードは、まずコーヒーの業界の事情について把握する必要があり、その上でフランツ神父たちのコーヒー豆を公正な価額で買い取り・販売する市場を発掘する必要がありました。彼はフェアトレード・コーヒーの計画書を作成し、様々なところで理解を求めましたが、各会社は安定供給への不安と消費者の購買意欲が見込めないといった点を懸念し、結果として、彼の提案に賛同してフェアトレード・コーヒーに取り組む会社は現れませんでした。そこでソリダリダードは、自社ブランドを立ち上げ、メキシコの生産者組合からコーヒー豆を買い取り、オランダで販売する計画に変更しました。販売拡大のためには企業の協力が重要であり、認証ラベルを導入すれば企業も運営しやすくなるという考えから、ラベルを認定する基準づくりにも取り組みました。こうした挑戦をつづけるなか、フェアトレードのコーヒー、認証ラベルの採用に対して関心を持つ企業が現れ、1988年にマックス・ハーフェラールというフェアトレードの認証コーヒーが誕生しました。

『Solidaridad 50 years』(2019)12-13頁。

 その後、フェアトレードの認証商品はオランダ市場を超え、スイスやドイツ、イギリスなど周囲の国にも広がり1990年代に入ると、あっという間に11か国で販売されるようになりました。しかし、フェアトレード認証の仕組みはマックス・ハーフェラール以外にも誕生し、例えばドイツでは1993年に新たに対抗勢力として「トランスフェア」という認証ラベルも生まれました。1990年代の特徴としては、フェアトレードは多くの先進国に広がる一方で、複数の認証ラベルが乱立し、共通したルールをもたないまま運動が進められたため、消費者にも混乱をもたらしました。そこで、1997年に“FLO”(国際・フェアトレード・ラベル・機構)が創設され、認証団体の統制・コミュニケーションが始まったのです。

『フェアトレードの冒険』(2007)146頁。

 このように20世紀後半以降、国際的な不平等を是正すために発明されたフェアトレードの仕組みは、多くの関係者を巻き込んで今日まで発展してきましたが、その道筋は決して順風満帆ではなく、幾度もの分離や離脱も経験してきました。それでもフェアトレードは、公正な社会を求める運動、自由貿易が孕む問題の克服の手段として着実に成長しています。そして重要なことは、フェアトレード運動の推進者は市民社会(国際NGO)であるということです。次回は、国際NGOであるソリダリダードが取り組んできたフェアトレード活動に焦点を当ててご紹介します。

ソリダリダード・ジャパン事務局長

楊 殿閣(やなぎ でんか)

2022年5月8日

注:FINEは、FLO(Fairtrade Labelling Organizations International)、IFAT(International Fair Trade Association)、NEWS(Network of European Worldshops)、EFTA(European Fair Trade Association)の4団体からなるフェアトレードのネットワークであり、2001年に「Fair Treade」の定義に合意しました。

参考文献:

Gavin Fridell, Zack Gross, and Sean McHugh eds. (2021), The Fair Trade Hand Book, Fernwood Publishing.

ニコ・ローツェン、フランツ・ヴァン・デル・ホフ (2007) 『フェアトレードの冒険-草の根グローバリゼーションが世界を変える』 永田千奈訳、日経BP社。